生協の隣りのパチンコ屋ものぞいてみる。知った顔が台に張り付いていないかを外から確かめ、目立たぬように店に入る。台の釘を見るふうを装いながら、俺の目は床の上にこぼれ落ちているパチンコの玉を追う。泥臭い演歌が流れる薄汚れた店内に、客はたったの四人。客が少なければ、それだけこぼれている玉も少ない。震えが徐々に激しさを増す指先でようやく拾い集めた三個の玉は、どれも狙いから大きく外れた弧を描き、俺は逃れるように店を出た。
これほど悲惨な状況に追い込まれでも、「あれ」を店から盗んで手に入れることだけは、俺のプライドが許さない。俺が中学の時まで、家はこのマチでささやかな雑貨屋をやっていて、親に店番を頼まれることがよくあった。そのたびに店番が子供と甘く見てか、万引きを働く輩がいて、子供心にひどく腹が立ったものである。そんな経験があったため、自分はいかなることがあろうとも万引きだけはするまいと心に誓い、四十八歳の今に至っているのだ。
俺の足は昼下がりのひなびた商店街を抜け、山裾の墓地に向かっていた。墓地に続く上り坂に並ぶ石地蔵の費銭狙いである。費銭と言っても聾銭箱があるわけでもなく、所有者、設立者もはっきりしない地蔵であるか’りして、その前に置かれた小銭は誰のものでもなく、貧乏人が困っている時に使うべき金なのだと俺なりに解釈している。そして実際、そこで拾った小銭で、月末までなんとか「あれ」を切らさずに乗り切ったことが一度ならずあったのだ。
働いていた頃には何でもなかった坂の上りの勾配が、今日はひどく身にこたえる。肩で息をし、何度も立ち止まりながら、辛うじて足を前へ運ぶ。
しかし、今日に限って神は俺を見放した。きめの荒い凝灰岩を削った石地蔵のどの台座にも、一円の小銭も乗っていないのだ。ちょっと前に、誰かが根こそぎ小銭をかき集め、懐に入れたらしい。三十度を越える炎天下で、何故か悪寒が止まらない。そんな俺をあざ笑うかのように、急にやかましくなる蝉時雨。耳を塞ぎながら、逃げるように坂道を駆け下りる。
ここまで追いつめられてしまうと、あとはまた借金をして「あれ」を買うしかない。しかし章両親はとうに亡く、姉と弟からも完壁に愛想を尽かされ、二年前に妻子にも逃げられた俺には、序身内に借金を頼める人聞はもう一人もいない。もちろん以前勤めていた炭鉱の失業仲間からも借金をしまくった。それらのほとんどは借りっぱなしになっているので、道でばったり会おうものなら、いきなり殴られでも文句を言えない相手が、すぐ頭に浮かぶだけでも五人はいる。こんな絶望的な状況をただひとつ忘れさせてくれるものが「あれ」であり、この不愉快極まりない悪寒や手の震えを止めてくれるのもまた「あれ」だけなのだ。
序章2